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当院の「服の上からの聴診」に関する方針について
はじめに
診察室で「胸の音を聴きますね」と言われ、服をめくったり、肌に冷たい聴診器が当たったりすることに、少し緊張や抵抗を感じたことはありませんか?
多くの方が、ご自身の性別を問わず、肌を露出することに少からず「羞恥心」を感じるものです。
当院では、そうした患者さんの心理的なご負担を少しでも軽減するため、原則として「服の上から」聴診を行う方針としています。
「え、服の上からでちゃんと聞こえるの?」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、なぜ当院がその方針を採用しているのか、そして医学的な正確性をどのように担保しているのかについて、当院の考えと医学的な根拠を交えてご説明します。
当院が「服の上からの聴診」を基本とする理由
すべての患者さんの「気持ち」に配慮するために
当院が最も大切にしていることの一つが、患者さんの「心理的な安全性」です。
聴診の際に感じる羞恥心は、女性だけのものではありません。男性も、ご高齢の方も、性別や年齢に関わらず、誰もが持ち得る自然な感情です。
私たちは、医学的な正しさを優先するあまり、患者さんが診察で不快な思いをしたり、受診そのものをためらったりするようなことがあってはならない、と考えています。
「服の上から」で、正確な診断はできるのか?
医学的な「常識」と「実際の研究データ」
確かに、医学教育では「聴診器は肌に直接当てるべき」と学びます。衣擦(きぬず)れの音が雑音(アーチファクト)として混入したり、音が小さく(減衰)なったりする可能性があるからです[1]。
しかし、その「常識」が臨床の場で本当に絶対的なのか、近年いくつかの比較研究が行われています。
いくつかの医学研究で示されたように、これらの研究では、
という2つの条件を満たせば、肌に直接当てた場合と比べて、心雑音や肺の異常音の検出率に「統計的な有意差はなかった」と報告されています[2, 3, 4]。
ある研究では、医師たちに録音した音を聞き比べてもらったところ、大多数(74%)が「肌からの音」か「ガウン越しの音」かを区別できなかった、という結果も出ています[5]。
つまり、「薄手の服1枚」で「適切に」行えば、服の上からの聴診でも、診断に必要な音響情報が十分に得られる可能性がある、というのが、現在の医学的な研究報告の一つです。
ただし、これらの研究結果は、あくまで「薄い服1枚」や「聴診器をしっかりと押し当てる」といった、一定の条件のもとでの比較にすぎません。
日常診療のあらゆる場面で、服の上からの聴診が最適であると保証するものではありません。
どのような方法で聴診を行うかは、患者さんのその時の服装、症状、診察室の環境などを考慮した、現場の医師による専門的な判断に基づいています。
安心して診察を受けていただくための「4つの約束」
当院では、上記のエビデンスと患者さんの安心感を両立させるため、聴診の際に以下の4つの約束を実践しています。
1. 「厚手の服」や「音が通りにくい服」の場合
研究データが示す通り、服の上からでも正確な音が期待できるのは「薄手の衣服1枚」が原則です。
例えば、厚手のコートやダウンジャケット、フリースといった「防寒具」や「上着」を着ていらっしゃる場合は、診察の際に脱いでいただくようお願いしています。
これはあくまで、脱いでいただいた後にTシャツやYシャツなど、インナー(肌着)ではない服を中に着ていらっしゃる場合を想定しています。
もし、患者さんがニットなどを着ており、それを脱いだり、まくったりするとインナーが見えてしまうような場合は、脱いでいただくようお願いすることはありません。
基本的にはニットの上から、しっかりと聴診器を当てることによって聴診を行います。
2. 音が不明瞭な場合は、必ず「ご説明」の上で肌から聴診します
服の上から聴診し、
これらに該当し、「より正確な情報が必要だ」と医師が判断した場合は、
3. 「服の中に手を入れる」聴診は行いません
当院では、患者さんの羞恥心に配慮する目的で、服の襟元や裾(すそ)の隙間から聴診器の手を入れて肌に直接当てる、という方法も原則として行いません。
これには2つの理由があります。
狭い隙間から聴診器を入れようとすると、衣服と聴診器が大きく擦れ、その雑音が肺や心臓の音を聴き取る妨げになると考えています。
隙間からでは聴診器を「しっかりと」皮膚に押し当てることが難しく、かえって正確な聴診ができない可能性があるためです。
そのため当院では、「服の上から、しっかりと聴診器を当て、ある程度の時間をかけて丁寧に聴診する」か、それが難しければ「ご説明・ご同意の上で、肌に直接聴診する」かのどちらかを基本としています。
4. 聴診だけでなく、「総合的」に診断します
そもそも、聴診は診断のための重要な情報の一つですが、すべてではありません。
当院では、聴診から得られる情報はもちろん、
これらすべての情報を集め、「総合的」に診断を行います。
服の上からの聴診で万が一、情報がわずかに減衰したとしても、他の情報と組み合わせることで診断の精度を高く維持しています。
患者さんへのお願い
当院では、老若男女問わず(患者さんの性別や年齢に関わらず)上記の方針を基本としておりますが、患者さんのご希望も最大限尊重いたします。
「自分は気にしないので、最初から肌に直接当ててしっかり聴いてほしい」
「背中(や胸)に気になる発疹があるから、ついでに見てほしい」
このようなご希望がありましたら、診察時にどうぞご遠慮なく医師にお伝えください。
まとめ
当院では、患者さんの「診察時の心理的な安心感」と「医学的な診断の正確性」の両立を目指し、原則として「服の上から、しっかり押し当てて」聴診する方針としています。
もし音が不明瞭であれば、必ずご説明・ご同意の上で、肌からの聴診をお願いしています。
もちろん、この記事でお伝えしたいのは、「肌から聴診する医師は配慮が足りない」といったことでは一切ありません。
また、「服の上から聴診しても問題ないのだから、すべての医師がそうすべきだ」と主張したいわけでもありません。
伝統的に肌に直接聴診器を当てることには、音を最もクリアに聴けるというメリットに加え、視診(皮膚の発疹や胸郭の動きを見る)も同時に行えるという重要な医学的意義があります。
どのような方針で診察を行うかは、個々の医師の考え方や、その場の状況による判断です。
その上で、当院では、患者さんの「心理的な安心感」を優先し、ご説明とご同意に基づいた丁寧な診察を行う一つの形として、この方針を採用しています。
診察やご自身の健康に関して、不安なこと、気になることがあれば、どんな些細なことでもお気軽にご相談ください。
ご受診をお考えの方へ
当院では、患者さん一人ひとりの気持ちに寄り添った、丁寧で誠実な診療を心がけています。
胸の苦しさ、動悸、息切れ、健康診断での異常など、気になる症状がございましたら、お気軽にご相談ください。
参考文献
この記事は情報提供を目的としており、個別の診断に代わるものではありません。ご自身の健康状態や治療については、必ず医師にご相談ください。